Thinks
嬉泉の想
「課題を媒介とした交流」
かつては、「石井哲夫先生、ああ受容ね」と軽く言われ、しかもその受容とは子どもの好きなようにふるまわせることだと誤解されることがあったような気がします。しかし、交流を目指してこその受容であり、その交流も、まずはこちらから相手に寄り添っていく安定中心の交流から始めるけれども、いつまでもそこにとどまっていたのでは自閉症の人の内面は変わらない、砂上の楼閣のようなもので状況の変化によっていつ崩れてしまうかわからない、次のステップとして課題を媒介として人との関わりに誘う積極的な交流へと進む、それこそが受容的交流療法の本命なのだ、という肝心なところはなかなか理解してもらえなかったようです。課題を媒介とした交流の実践は難しいけれども、難しいからと言って手をこまねいていたら、受容的交流療法は宝の持ち腐れになってしまいます。
先生の著書を拝読していると、「わたしもなるべく分かりやすく伝えようとはするが、あなたもそれなりの読み解く苦労をしなさいよ」という声が聞こえてくるような気がします。先生の関心は何よりも、仮説を立ててはつぶしての実践を積み上げてその結果を理論化することにあったのです。その成果を分かりやすく読み砕いて伝わりやすくするのは、先生の志を継ごうとする人たちの務めでしょう。私も微力ながらそのお手伝いをしたいと思います。
いま私は袖ケ浦で、就労2年目の職員を相手に年5回の心のケア研修をさせていただいています。そのなかで私なりの理解をもとに、若い職員が課題を媒介とした交流の真髄を学び、行く行くは石井先生の実践レベルに少しでも近づくことを目指して、まずは初歩的な取り組みを身に付けて頂く試みをしています。それには、頭(理論)と心(内省)と体(実技)とがひとつになった学びが必要ではないかと感じているところです。