Thinks
嬉泉の想
(2)療育への展開
自我の働きを育てると石井は結んでいる。自我の働きを育てるというと、これまた観念的でとらえどころがないように思われる方も多いであろう。どうやったら実態の見えない自我が育つのか。また、育ったといえるのであろうか。
昨今、意思決定支援という言葉が、福祉支援の中でよく耳にするようになってきている。本人中心の考え方が必要であると、当たり前のようにいわれてきている。そのことは裏返してみると、これまでは本人中心や本人の意思決定は阻害されていたということなのだろうと考えられるし、実際にも目にするところである。
周知のとおり、石井が自閉症に支援を始めたころには自閉症の支援は大部分が知的障害者の支援の範疇に取り込まれていた。とにかく異常を正常に正す、社会化する、訓練して社会生活が出来るスキルを身に着けることなどが中心で、本人の意思よりも、社会の一員になるように本人が変容することが優先されていた社会状況であった。
ややもすれば、下手に自我なんか持っていると甘えてサボるとかいわれかねないところもあったように記憶している。日本が、そういう障害者観が一般的であった時代だったともいえる。そんな中で石井は、自発性ということをあらゆる機会に発言していた。自分がよいと思って進んで行動する、行動できなくても意思表示する、選択する、自分から気持ちを動かす。それこそが人の生き方であり、その人の存在意義であると。今日では、意思を尊重することに社会は概ね合意して、そんなに無茶な考え方を持つ人もそう多くはなくなっているように見えることもあるが、本人たちに云わせるとまだまだ、学校等の不適応、いじめ、養育困難、強度行動障害等々、意思が尊重されているような状況ばかりではないことはいうまでもない。
自閉症は、ことはそれほど解り難く、受け入れ難く、共生し難いのである。したがって、支援するといってもかなりの理解と努力と忍耐とが必要になる。意思決定支援も命がけの覚悟が必要といったら大げさかと思うが、それだけ難しく、人の生き方を左右してしまうものであるということだと石井は考えていたし、体を張って主張していた。
石井は、「かかわりあいを深めて援助する」とさらりといっているが、その過程には並々ならぬ技量が必要になるのだと考える。かかわりあいを深める、すなわち受容的交流を進める過程を石井は、「自他不分離の心境から、相手と自分とともに自己認知・自己統制が進むように関わる」(2012)といった。支援者側の動きとしては、①見取る、②見立てる、③関わる、④振り返る、のサイクル行程であると表した。本人と支援者が共に育ち、世界が広がっていくことを療育の本質であると表現することもあった。
当初、本人の特性に合わせた配慮は甘やかしのようにいわれたこともあった。とにかく本人の成長第一、我慢とか、慣れろとか、頑張れ、一緒に、やればできる、やらせなくては一生出来なくなってしまう、・・・今でも脈々と一部では続いている差別的対応は、周囲の者への支援のポイントと未だになっている状況である。このことは、石井の奮闘むなしく、受容的交流の考え方が普及しきれなかったことの証明になってしまうのであろうか。
石井は、自閉症の人がたどりやすい人生の困難な道筋(2008)として以下の図を表した。自閉症の方は、これまでの生活歴において、本人と周囲との関係のゆがみから生じてくる不利な状態(生きにくさ)が長年にわたり続いていることが多い。それは、多数派の人たちの常識や価値観との違いであったり、無理解や誤解からの不適切な対応であったり、ひどい場合には絶え間ない注意や叱責を受けることもある。頼れる存在のなさや孤立感、強い不安状態に日常的にさらされることになり、本人にとってはさらなる困難な状況へと追いつめられることになる。
幼少のころから対人被害感や他者への攻撃的な言動や、空想世界への没頭、強いこだわりなど、様々な困難な精神症状を引き起こしていることも数多く遭遇する。自閉症の人はライフサイクルの中で多くの課題や社会的障壁に向き合うことになるが、生きにくさを抱え続けないようにするためには、個人差はあるにせよその時々の適切な支援が一生涯に渡って必要であると考える。
不適切な対応があれば容易に不安定な状態に陥る負のスパイラルが彼らの足元には常に渦巻いているのであると石井はその当時の社会情勢の中で分析して対応した。
受容的交流を進める過程
自閉症の人がたどりやすい人生の困難な道筋(石井 2008)
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- 脳機能によって生じる人間関係の困難性
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- 母子の愛着(相互)関係の遅れ
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- 環境からの過剰な圧力とその防衛
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- 非社会的な生活形成
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- 困難な社会生活