嬉泉

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鼎談『課題を媒介とした交流』~心のケアとしての受容的交流療法~-06-

「石井哲夫の残したもの」について

石井

やっぱり、なかなかそういう実践に触れないと難しいですよね。

阿部

難しいんじゃないでしょうか。少なくともそれを言葉に表してというか、言葉や文字だけでもそういうことを伝える努力をしていったらいいと思うのですが。

そういう意味では、石井先生がなさってきたことっていうのは、一見何もないようなところからダイヤモンドのような宝石を掘り起こしてきたのだと思います。

石井先生って言ったら、「ああ、あの受容論か」で済まされるきらいがあります。もちろん石井先生ご自身も受容は大切だと繰り返しおっしゃっているわけですが、先生が掘り起こしたダイヤモンドは1個じゃないわけで、受容論しかり、自我の二重構造説もそうですし、それから葛藤を乗り越えるための課題を仲立ちにした交流論、その葛藤を乗り越えるにあたって支援者、利用者、お互いの自我関与が大事だということの強調もそうだし、葛藤を乗り越えるのに情緒を明らかにしてそれをなだめることが大事だとか、いろんな宝石を掘り起こしているんですよね。

まだ数え上げれば他にも出てくると思うんですが、そうやって掘り起こしたダイヤモンドを一つの理論として、宝石細工として組み立てたのが受容的交流療法の理論だと思います。一生をかけてそれを成し遂げて私たちに残してくださったと思うんです。

でも、実践によって掘り起こしたものを理論として組み立てることで精いっぱいだった、と言ったらおかしいですけど、今度はそれを誰もが身に付けて実践に移せるようにするという作業が残された私たちにとっての課題なんじゃないかと思っていて。

沼倉

そうですね。そういう意味では、本当に阿部先生の作っていただいたテキストは道しるべとさせていただくような内容で、ダイヤモンドを磨いて見せていただいている感じがします。その先、本当にわれわれがどこまで成し遂げられるかはちょっと不安なところはたくさんあるんですけども。

石井

なかなか再現性といいますか、決まった形にするともう、はたから違っていくようなところもあるように感じているので、そうすると技術的な体系化がしにくいというか、ノウハウのように「こうやればいい」みたいなものっていうのがなかなか表せないっていうところに今直面している気がしまして。そのあたりで非常に悩ましいといいますか、どうしていったらいいんだろうってとても途方にくれているようなところがあるんですけども。

阿部

一つには、理論化されているとはいいながら、石井先生の実践には名人芸のようなところが多分にあって、先生ご自身も芸術家の仕事に例えているようなところがありますよね。

石井

そうですね。

阿部

ですから、芸術家の仕事っていうのは血のにじむような苦労をして仕上がっているんだけども、でも再現性ってことで言えばとても難しい話になるわけで、でもそれでいいじゃないかっていうふうに居直っていらっしゃっていて、その通りだと思うんですが。

ただ一方では石井先生の名人芸っていうのはあるけれども、もっと身近な、まだこの仕事を始めて数年っていう若い人なりの、その人なりの「名人芸」が考えられると思うので、だからその人らしさを発揮した名人芸を支援していけたらと思うんです。

それには昔の職人芸のように親方の背中を見ながら、ときには盗みながら自分の技を、というのはちょっと今どき酷な話で、だからといって「こうすればいいんですよ、こうすればできますよ」っていうふうに単純化してしまうと受容的交流療法がとても薄っぺらなものになってしまいます。そうじゃなくて、「こんなふうにしていくとあなたなりの名人芸っていうのが出来ていきますよ」というような、そういうマニュアルは可能なんじゃないかなっていう気がしています。

また一つには実践記録。どうしても実践記録っていうと客観性を貴ぶ、悪く言えば読むほうも無味乾燥なものになりがちなので、「自閉症の人とこう関わってこういう喜びを共に感じた」っていうような、読むことで感動を呼ぶような、わくわくして読めるような、そんな実践記録を打ち出していく。生の実践を見られない立場にある人たちにはそれも一つの道筋かなと思います。ですから、そういう発信を嬉泉からぜひ、していっていただきたいなと思います。

石井

それこそ職人芸に例えられましたけど、その職人の道に入っていくためのガイドみたいなものと、それからその職人の道を究めていく過程でのその人の体験というか、ある種の主観に基づいた記録で感情移入をしてもらうっていうような方向性でしょうか。

先生のお話ですごく勇気づけられた思いがしまして、やはり嬉泉の価値っていうのはそれこそ石井が掘り起こしたダイヤモンドをちゃんと磨いていくことなんだっていう、先生のお言葉がやっぱり一つの指針となるなというふうに、すごく今感じています。

では、沼倉さん最後に。

沼倉

改めて、受容的交流とか心のケアっていうのを考える機会を頂いて、本当に利用者さんとの交流の原点というのを外さずに、そこがぶれないように継承していくっていうのが一番の道なのかなというふうに思い返しました。ありがとうございます。

石井

今日は長い時間にわたってお話しいただきましてありがとうございました。