嬉泉

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嬉泉の想

鼎談『課題を媒介とした交流』~心のケアとしての受容的交流療法~-04-

「自閉症支援と子育ての社会的な状況」について

石井

先ほどの社会性の発達へのアプローチといいますか、そのあたりのところが今現在、自閉症支援って言われている考え方の中では、なかなか取り上げられていないように感じているところがあるんですけども。

特に強度行動障害のような状態にある人への支援っていうと、先ほどもお話ししたように、どうしてもその状態を落ち着かせるとか、そこで非常にドラスティックになってしまっているものを消失させるとか、そういうところが支援の到達点みたいなところからなかなか離れられないというか、むしろ落ち着かせて終わりみたいなっていうところっていうのがあって。

確かに、冒頭袖ケ浦の施設の話も少し出ましたけども、日常の生活の中で、本人がそういうちょっと通常でないような状態であれば、それをなだめるとか落ち着かせるっていうところがどうしても先に来て、これはもう致し方ないことだと思うんですけど。

そこでいったんなだめてしまうと満足してしまう、と言うと語弊があるのですが、そこからさらに社会性の発達支援っていうところに切り込んでいこうとすると、そのある種の安定を崩してしまうのではないかというような危惧は、多分現場の職員もあると思っていて。そこがやっぱりなかなか「社会性プログラム」っていうほうに行きにくい、うちであっても踏み出しにくいところなのかなっていうふうに思うんですけども。
そこを阿部先生がおいでいただいているセッションなんかでは、あえてそこから先のアプローチを教えてくださっているっていうふうに思うのですが、何かそのあたりでお感じになっていらっしゃることとかありますか。

阿部

かろうじて安定を保つというのは、石井先生の表現を借りるとそれは「砂上の楼閣」のようなもので、何かきっかけがあり、状況が変わったりすると、崩れてしまうもの、という戒めになると思うんです。

それは自分たち自身への戒めであるとともに、ショプラー流の支援の仕方、日本ではTEACCHとして紹介されているんですけど、TEACCHのプログラムへの批判でもあるわけですが。

ちょっと脱線しますけど、石井先生の著書を拝見していますとショプラーとか行動療法とかいろんな流派の考え方に対して結構厳しくっていうか、きちんと批判を展開していますね。それは否定して消し去ろうっていう意味合いは全然なくて、石井先生の基本的な考えは「色々な考えが登場して、それで切磋琢磨して深めていったらいいんだ」っていうお考えだったと思うので、あくまでもご自身の立場を明確にするっていう意味での批判だったと思います。

石井

そのとおりで、多分そのあたりの立場の表明といいますか、TEACCHであるとか行動療法への、あえての批判っていうところがあったと思うんです。けれど、今むしろTEACCHとか行動療法のある種の発展形態であるABA(応用行動分析)とかが、いわゆる自閉症支援のスタンダードのような言われ方をされてきているところがあって。

もちろん私自身もそれを否定する立場ではないんですけども、ただやはりそれだけだとそれこそ「社会性プログラム」というところには至らないだろうなと思うので、その辺をもう少し言っていきたいというか、嬉泉としてはそこがある種の依って立つところというか、嬉泉が目指している自閉症の支援の一つの方向性だっていうところを打ち出していきたいっていうふうに思っているんですが、そこがうまくかみ合わないというか。

そのあたりで沼倉さん、何か感じないですか。

沼倉

マニュアルがあって誰でもこうすればできる支援っていうのが、やはりもてはやされている状況にあるというのを感じます。

ただ、子育ての社会的な状況とか、そういう流れでやはり「人が子どもを育てる」とか「人が人になる」とか、そういうような意味合いが、支援する側にも薄れてきていて、そういった面でなかなかそこの本質的な部分に目が行かなくなっている状況っていうのがあるのではないかというふうに感じるんですけども。

阿部先生、その辺の今の子育てとか親子関係とかっていうところで関わっていらして、何か感じられるものは?

阿部

私は今、沼倉さんがおっしゃった「子育ての社会的状況」っていうのがとても気になっていて。

今まで自閉症の原因が心因か器質かっていうことでもっぱら論じられてきたのが、両方重なる部分もとても多いし、その重なる心因という部分が、個々の親の愛情とか育て方とかいう問題じゃなくて、それぞれの親が知らず知らずのうちに巻き込まれている子育ての社会的な状況、「子どもはこう育てればいいんだ」という社会的な風潮があって、そこに巻き込まれているところも多分にあるのではないかということを痛感しています。

ですから、自閉症の子どもも健常な子どもも含めて、広く育て直しを必要とする親子を相手に実践してきました。そういう(社会的な)風潮は、振り返るとここ30年以上も経っている話で、そうすると沼倉さんがおっしゃったように支援に携わる若い職員自体がそういう風潮の中で生まれ育っているってことは多分にあると思います。

ですから支援の出発点として、支援者自身が自分の生い立ちを振り返るような作業も併せて行いながら支援をしていくことが大切な世の中になっているかなと痛感しています。

(袖ケ浦の研修では)ここで暮らしている利用者の方と、担当している支援員の方と一緒に来ていただいて、個別セッションの時間を持たせていただいているのですが、そこで支援員自身の生い立ちをちょっと振りかえってみては、という誘いも、ときにはします。そんな話が目の前の支援の関わりにどうつながるかっていうふうに話が持っていけたらと思って。