嬉泉のはじまり
昭和40年、初代理事⻑須藤晃弘と前常務理事⽯井哲夫先⽣との出会いが嬉泉誕⽣の契機となりました。先代は、常⽇頃より「還暦を迎えた際は、今までの蓄財を世のため⼈のために⽣かしたい、⼦どもたちには学問を⾝につけるが美⽥を残さない」と申しておりました。そんなある⽇、⽯井先⽣との出会いがあり、先代は、⽯井先⽣にお会いしたその⽇のことを興奮した⾯持ちで「⽯井先⽣は福祉に対して熱い情熱、ゆるぎない信念のある⽴派なお⼈だ。⾃分の蓄財を福祉のために⽯井先⽣へ委ねたい」と⺟と⼩⽣への胸の内を明かしました。⼩⽣は、そのころ医学⽣であり、⽗へは、「⽗のお考えでお決めください。私は、私なりに医療の道で努⼒いたします。」と伝えたその⽇のことが今も脳裏に強く刻まれております。
さて、『嬉泉』についてでございますが、先代は⽇頃より「私利私欲を捨て、世の為⼈の為に尽くし、何事をなすにも喜んで⾏い、その結果を喜んで受け⼊れる精神が⼤切である。
結果は、上⼿くいく場合もあるし失敗することもありましょうが、いずれの場合も素直に受け⽌め、さらに精進を重ねる。⼈に尽くすことを最⼤の喜びとすることが、⾃分を成⻑させ、組織を⼤きくし、発展させるためになる。」と申しておりました。
「全ての事に、⼈に、⼼より尽くす⾏為に、嬉しいという感謝の気持ちを持って⾏うと、その結果として、泉から湧きいでる、清⽔の如く、喜び、幸福、富がいでる」と私はお教えを受けました。先代が創設いたしました病院にも『嬉泉病院』と名付けました。「嬉泉とはどのような意味ですか」と時折尋ねられますが、私は以上の如く説明しております。(⽂:2代⽬理事⻑(故)須藤祐司)
受容と交流
受容とは、全てを受け⼊れることから出発していますが、相⼿の態度や⾏動を全て容認することではありません。利⽤者の表⾯的な態度や⾏動の形だけに⽬を奪われると、困ったものとして排除しようとしたり、望ましくないと考えて否定してしまうことになりがちです。表⾯的な形にとらわれず、その奥にあるその利⽤者の精神的な働き、境地を推し量り、わかろうとすることが⼤切です。これが受容の第⼀歩です。その際、私たち⾃⾝の中に、普段は意識していなくても、感覚が鋭敏になっている場合や、精神的にノーマルでないような状態のとき(例えば、過度に緊張したり、不安になったとき)の⾃分の振る舞いなどを思い起こしてみることによって、混乱している利⽤者や保護者との共感が可能になるし、相⼿のココロのすじみちが追えてくるということがあります。そして、こちらが働きかけた時の相⼿の反応として、⼾惑ったり、葛藤している相⼿の⼈間性を強く感じ、⾃分と同じ⼈間としての相⼿への親しみや可愛らしさを感じる、という感情が湧いてくるものです。このように、全ての利⽤者や保護者とのかかわりあいを深めて、その発達や⽣活の援助をすることによって、その利⽤者や保護者は、周囲の⼈に⾃分の本⼼からかかわりをつくり、⾃我の働きを育てていくことになります。この過程が受容的交流なのです。
⽯井哲夫記念館
社会福祉法⼈嬉泉は、前常務理事⽯井哲夫が昭和30年代に⽇本社会事業⼤学に開設した児童臨床相談室を原点とし、受容的交流の⽴場に⽴った援助実践を⾏ってきました。⽯井哲夫逝去後、その想いと法⼈の歴史を形にして残すべく、平成27年2⽉に「⽯井記念館」を嬉泉福祉交流センター袖ヶ浦内に開設しました。
⽯井記念館には、かつて⼦どもの⽣活研究所内にあった所⻑室が再現され、⽯井哲夫の愛⽤品に加えて、執筆物、著書、録画ビデオ、写真などが展⽰されていますが、今後も内容をさらに充実させていく予定です。これらの展⽰物を通して、⽯井哲夫の⼈となりを感じていただき、嬉泉の⼤切にしている理念についてもご理解を深めていただければと願っています。
当⾯は開館⽇や時間を限らせていただいておりますので、ご利⽤の際には事前にお問い合わせください。
多くの皆様のご来館をお待ちしております。
ご利⽤案内
- 開館
- 随時(下記にお問い合わせください)
- ⼊場
- 無料
- 場所
- 嬉泉福祉交流センター袖ヶ浦
地域療育推進棟2階
〒299-0255 千葉県袖ケ浦市下新⽥1680 - TEL
- 0438-62-9121
担当者:⽯井純⼦
⽯井哲夫 その⽣涯
⼦どもへの思い
東京都世⽥⾕区出⾝、海軍兵学校を経て東京⼤学⽂学部哲学科(⼼理学専攻)を卒業。 家庭では⻑男として弟や周囲の⼦どもたちを慈しみ成⻑した。第⼆次世界⼤戦後の騒然とした時代にあって困難に直⾯している⼦どもたちに⼼を痛め、学⽣時代には上野駅の地下道でこれらの⼦どもたちと共に過ごす体験を経て、⼦どもへの想いを深めた。この想いは、⼤学における⼼理学専攻、精神薄弱児(知的障害児)への学問的関⼼へと繋がり、更には当時まったく未知の分野であった⾃閉症児の研究という先駆的な活動を推進する⼒となった。
研究と実践学者・セラピスト&福祉政策
学位取得後は⼦どもの育ちをテーマとする少壮の研究者として教職に就き、終⽣後進の指導に当たった結果、⽇本の社会福祉分野で活躍する多くの⼈材を育成し影響を与えることになった。⽇本社会事業⼤学では草創期に幼児相談を始めるなど、その研究活動は実践に裏付けられたものであった。これらの相談事業は関係者から強い⽀持をうけ、後の「⼦どもの⽣活研究所」開設の礎となった。 ⽇本社会事業⼤学教学部⻑として、研究と実践を両輪の輪とする取り組みは厚⽣⾏政からも注⽬された。その結果、⽇本の保育政策の基本である「保育指針」の策定や数次にわたる改訂に際して⼤きな働きをなし、同時に障害福祉政策づくりにおいても厚⽣省中央審議会委員⻑や、東京都、川崎市、世⽥⾕区などで委員を務め、各層での政策策定に従事した。
組織の運営施設・団体・学校
実践に裏付けられた研究教育活動は幅広い⼈的交流に繋がった。実業家須藤晃弘との出会いは「社会福祉法⼈嬉泉」を⽣み、今⽇に⾄る半世紀に及ぶ活動をもたらした。保育分野での働きは各界からも広く⽀持され、全国保育⼠養成協議会では会⻑として組織改⾰を⾏い、⽇本保育協会では初の⺠間出⾝者として理事⻑職に就任し、新たな務めを⾏いつつ最晩年に⾄るまで全国の保育⼠への研修講師の陣頭に⽴った。 ⽇本社会事業⼤学名誉教授を経て、⽩梅学園⼤学初代学⻑、⽬⽩⼤学学術顧問として学校経営に深くかかわりつつ、⽇本⾃閉症協会会⻑として政界との繋がりをもち法制度の整備に邁進した。その⾒識は全国社会福祉協議会、三菱財団、清⽔基⾦、そのほか多くの社会福祉団体、および学会の理事として⽣かされ、社会福祉の推進に寄与した。これらの仕事に対して、国より叙勲(勲三等瑞宝中授賞)、また⽯井⼗次賞、毎⽇福祉賞この他数多くの賞が授与された。
⼀貫した姿勢
⾃閉症児者を⼤切に思う姿勢を貫き、その「妥協しない気⾼さ」に魅せられた⽣涯を送った。最期まで明晰な思考と意識を保ち、嬉泉そして⾃閉症児者を周囲に語りつつ、静かに眠りについた。菩提寺は東京世⽥⾕の無量寺である。
(関係資料は嬉泉福祉交流センター袖ケ浦「⽯井哲夫記念館」に保存・展観されている。)
略歴他
- 1927年 (昭和2)
- 東京都目黒区に生まれる
- 1950年 (昭和25)
- 東京大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業
- 1955年 (昭和30)
- 東京大学文学部大学院満期退学
- 1952年 (昭和27)
- 高崎市立短期大学専任講師
- 1955年 (昭和30)
- 日本社会事業短期大学専任講師
- 1958年 (昭和33)
- 日本社会事業短期大学助教授
- 1966年 (昭和41)
- 日本社会事業大学社会福祉学部教授
- 1993年 (平成5)
- 日本社会事業大学大学院 特任教授
- 1995年 (平成7)
- 日本社会事業大学名誉教授
- 1995年 (平成7)
- 白梅学園短期大学学長
- 2004年 (平成16)
- 白梅学園短期大学名誉学長
- 2004年 (平成16)
- 目白大学学術顧問
社会的活動
- 1965年 (昭40)
- 財団法⼈⼦どもの⽣活研究所 所⻑
- 1966年 (昭41)
- 社会福祉法⼈嬉泉 常務理事
- 1977年 (昭和52)
- 中央児童福祉審議会委員・保育部会⻑
- 1978年 (昭和53)
- 川崎市児童福祉審議会委員・会⻑
- 1982-1994年
- 社会福祉法⼈⽇本保育協会 理事⻑ (昭和57-平成6)
- 1987-1990年
- 恩賜財団⺟⼦愛育会 愛育相談所 所⻑ (昭和62-平成2)
- 1991年 (平成3)
- 世⽥⾕区障害者施策推進協議会 会⻑
- 2003年 (平成15)
- 東京都発達障害者⽀援センター(TOSCA)センター⻑
- その他
-
- 児童福祉施設等第三者評価委員会座⻑
- 厚労省保育⼠養成科⽬検討委員会座⻑
- 厚労省保育⼠指針改定検討委員会座⻑
- 全国社会福祉協議会・⾼齢者のグループホーム検討委員会座⻑
- 社会福祉施設⻑資格検討委員会座⻑
- 社会福祉・医療事業団(⻑寿社会福祉基⾦)委託
- 「社会福祉従事者養成研修体系のあり⽅に関する調査研究院会」委員⻑
- 社団法⼈全国保育⼠養成協議会会⻑
- 社団法⼈⽇本⾃閉症協会会⻑
業績
- 自閉症への取り組み
- 研究および療育実践、後進の指導
- 障害福祉政策づくり
- 全国から地域にわたり、様々な委員を歴任
(厚生省中央審議会委員長や東京都・川崎市・世田谷区などで委員として政策策定) - 保育
- 保育士養成・再教育、保育所運営や保育実務・相談
- 教育
- 大学教授・学長として学生指導から大学経営まで多くの職責を全うした。
これらの仕事に対して、国から叙勲(勲三等瑞宝中授賞)、また石井十次賞、毎日福祉賞、その他、数多くの賞を授与された。
著書紹介
- 「自閉症児がふえている」
- 1966 三一書房
- 「児童臨床心理学」
- 1969 三一書房
- 「子どもの才能は親が育てる」
- 1974 あすなろ出版
- 「受容による自閉症児教育の実際」
- 1982 学習研究社
- 「自閉症児への援助技術」
- 1990 チャイルド本社
- 「新・保育所保育指針理解のために」
- 1990 ひかりのくに
- 「自閉症と受容的交流療法」
- 1995 中央法規出版
- 「自閉症児の心を育てる」
- 2002 明石書店
- 「自閉症・発達障害がある人たちへの療育
-受容的交流理論による実践」 - 2009 福村出版
- 「障害児保育の基本」
- 2010 フレーベル館
その他多数