嬉泉

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嬉泉の想

「受容的交流とは何か」を考える

社会福祉法人嬉泉 理事長 石井啓

「受容的交流(療法、理論)とは何か」という問い掛けは、我々嬉泉の人間にとって深遠なる命題である。日々の援助実践において大きなバックボーンともいうべき理念でありながら、それを他者から正面切って尋ねられると一瞬たじろぐ自分がいる。それを気取られぬうちにしれっと「受容的交流(療法、理論)は、自閉症児者への治療的・福祉的援助の実践を通じ、石井哲夫によって創始された療育理論(療育援助技術)で、人間関係における『受容と交流』は人を人たらしめる発達・成長の原理です。受容的交流は、この基本となる人の相互関係、相互作用を重視する立場をとり、子どもを育てる母子の相互作用に原型を求めることができます。この『関係性』重視の理論と技術は、自閉症療育のみならず、広く福祉援助一般に適用できるものです」云々と言ってのけたりするわけだが、これは梗概(こうがい)であって内容の説明ではない。聞かされた方も何となく分かったような、その実全然分からんという顔をするので、「実際に援助の現場で体験をする中で理解が深まります」と言葉を重ねることになる。それは事実であるし、むしろ援助実践をとおして感覚的に掴めることのほうが多いと言えよう。実際、支援の現場では、援助者同士の共有するものとして、受容的交流の精神は受け継がれ、今日も脈打っていると感じられる。それは嬉泉職員だけの共同幻想などではなく、実習生や研修生、第三者評価委員などの部外者の中にも、その実在を体感し得る人のいることからも明らかである。

しかし、この歯切れの悪さは何なのか。それは、石井哲夫前常務理事亡き今、何人もその概念の体系を提示し得ていないからだ。否、「自閉症と受容的交流療法」という集大成的著作をはじめ、受容的交流について書かれた文章は大量に残されているのだから、それらを熟読すれば正答にたどり着くはず、というご意見もあるだろう。確かに石井哲夫は、それら著述の中で、ロジャースの来談者中心療法やモレノの心理劇、ピアジェの発達論といった先人の研究成果を踏まえた、クライアントとの関係性構築に基づく自我機能の発達理論を提示しているが、それを援助実践の場で実際になし得る技術的側面については、自身もしくは他の職員によるケースの事例が示されるのみで体系化し得ていない。つまり「ノウハウ」としての実用性が見えにくいのである。クライアントと援助者それぞれの人間性がそこに大きく影響するため、逆に「型」を提示し得ないということもある。しかし上手く言葉にはならないが、嬉泉の現場で援助実践を行っていれば確かにその存在を感じることが出来る。私たちが行っている援助実践の根底には、確かに共通する思想があるという実感。それを違う言葉で表現するならば「価値」であると言えよう。

そうした価値を援助実践の中核に有していることは、援助者にとって非常に心強いことである。クライアントへの援助においては、その相手に対する共感的理解がまずは求められるが、自閉症のある人のように一見すると理解の難しい言動を目の当たりにすると、援助者自身がたじろいだり戸惑ったりしてしまうことが多い。あまつさえ強度行動障害の状態を呈している場合などは、恐れや嫌悪感を懐いてしまうことも少なくないと思われる。そのような援助者自身のネガティブな感情は共感的理解の妨げになるが、そこに援助実践の核になる「価値」が意識されることで、援助者自身の気持ちを立て直す拠り所になり、再び共感的理解に至る道筋を辿っていくことができるようになり得るからだ。

これからの課題は、この受容的交流を継承していく為の体系化や技術化に向けた研究であろう。それによって受容的交流の援助法が嬉泉以外でも実践されるようになれば、より良く生きられる人が増えて、嬉泉の目指す共生社会の実現に近づくことになると信じるからである。