嬉泉

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嬉泉の想

「課題を媒介とした交流」

日本抱っこ法協会名誉会長・袖ケ浦非常勤講師 阿部秀雄

かつては、「石井哲夫先生、ああ受容ね」と軽く言われ、しかもその受容とは子どもの好きなようにふるまわせることだと誤解されることがあったような気がします。しかし、交流を目指してこその受容であり、その交流も、まずはこちらから相手に寄り添っていく安定中心の交流から始めるけれども、いつまでもそこにとどまっていたのでは自閉症の人の内面は変わらない、砂上の楼閣のようなもので状況の変化によっていつ崩れてしまうかわからない、次のステップとして課題を媒介として人との関わりに誘う積極的な交流へと進む、それこそが受容的交流療法の本命なのだ、という肝心なところはなかなか理解してもらえなかったようです。課題を媒介とした交流の実践は難しいけれども、難しいからと言って手をこまねいていたら、受容的交流療法は宝の持ち腐れになってしまいます。

先生の著書を拝読していると、「わたしもなるべく分かりやすく伝えようとはするが、あなたもそれなりの読み解く苦労をしなさいよ」という声が聞こえてくるような気がします。先生の関心は何よりも、仮説を立ててはつぶしての実践を積み上げてその結果を理論化することにあったのです。その成果を分かりやすく読み砕いて伝わりやすくするのは、先生の志を継ごうとする人たちの務めでしょう。私も微力ながらそのお手伝いをしたいと思います。

いま私は袖ケ浦で、就労2年目の職員を相手に年5回の心のケア研修をさせていただいています。そのなかで私なりの理解をもとに、若い職員が課題を媒介とした交流の真髄を学び、行く行くは石井先生の実践レベルに少しでも近づくことを目指して、まずは初歩的な取り組みを身に付けて頂く試みをしています。それには、頭(理論)と心(内省)と体(実技)とがひとつになった学びが必要ではないかと感じているところです。

(1)理論-分かる

受容的交流療法を分かりやすく読み砕いた研修テキストを提供して、事前に読んでおいてもらうことにします。「事前に」というわけは、限られた研修の時間はなるべく座学ではなく、心や体の学びに当てたいと思うからです。また、可能な限り映像を使って、理論の理解を助けたいと心がけています。

(2)内省-感じる

感情抑制社会に生まれ育った私たちは、気持ちを感じることがひどく苦手になっています。しかし、課題に誘うことによって生じる葛藤をなだめて納得へと導くためには、情緒が決定的な役割を果たしますから、かつて石井先生がサイコドラマによってなさったように、支援者自身が情緒の働きについて知り、みずからを内省することに慣れ親しむことが大切だと思っています。

(3)実技-身に付ける

交流場面を具現化した実技を考案して体験してもらいます。ところがいざ体験してみると、たとえば車の運転教習のような初めての体験という気がせず、人間性の一部として自分がもともと秘めていたものに出会うかのような懐かしさを感じて、腑に落ちることが多いようです。受容的交流療法が母性行為を原型としているからなのでしょう。