嬉泉

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嬉泉の想

鼎談『課題を媒介とした交流』~心のケアとしての受容的交流療法~-05-

「袖ケ浦での職員研修」について

阿部

やっぱり肝となるのは、子育ての場で言うと、子どもに向かって「そうしたいんだよね、でもね、こうすることが大事なんだよ」と言う、「でもね」と切り返す子育てが大事で、これは受容的交流の考え方で言うと「自閉的な生き方をせざるを得ないんだよね、でもね、こんなふうに人と関わったら楽しい暮らしが待っているんだよ」という切り返しになっていくわけで。

個別セッションの場では、その上で利用者と担当の職員との関わりの中で「こんなことから始めることが可能じゃないか」ということを提案して試みて頂きます。(先日の全体研修の例で言うと)その人なりに無難に日々を過ごしていくような術を見つけて、そういう意味では安定している暮らしをしている方でしたが、「でもね、こういう暮らし方もあるんだよ」ということを話して「ちょっと試してみない?」っていうふうに誘いました。

何をしたかと言うと、まずはその人に触れることから始めて、肩に触れ、腕に触れ、手に触れました。触れることさえも避けるようになっている方なので、誘うと避けられますから、「ああ、嫌なんだね」と受け止めた上で、「でもやっぱり寂しいな」とまた誘って、触れていられる時間がだんだん長くなっていくうちに、触れるということは許してくれるようになりました。

それなりに折り合いが付いた状態で、自閉的な構えはまだまだ崩さないけれども、触れられるのは許容してくれた。そこまで来るとまたこちらの欲が出て、今度はちょっとこっちに寄りかかってみませんかと誘うと、またそこで嫌われるというか避けられて…というやり取りを丹念に続けていく。

色々な人とかわりばんこにお付き合いしますので、月に一度ぐらいしかチャンスが回ってこないんですが、何カ月かそういう誘いを丹念に続けた末に、最終的には寄りかかって身を委ねるわけなんですが、そこは無理強いしていませんので。

石井先生が強調しておっしゃっていた「こちらがこうしてほしいと誘うが、本人が自我関与して心から納得する、そういうやり取りが大事だ」ということを念頭に置いてやってきたつもりなので、身を委ねた時点で心も委ねるような状態になっている、人に身を委ねる心地よさ、安心感っていうのをそこで味わってもらえたわけです。

すると日常の様子がそれとなく変わってきて、その人のほうから担当の職員に寄ってきたりとか、ついこの間、聞いた話では、学園から帰宅したときに様子が変わっていて、ご両親いわく「何か関わり方が変わってきているので、それをどう受け止めたらいいか、こっちも受け止めあぐねている」ということをおっしゃっていたという、そんなうれしい話もあって。

石井

長年の固定的な関係が変わってきて、逆に親御さんのほうがそれを戸惑っていると。

阿部

だから、そういう戸惑いっていうのは施設でも担当の職員や周りの職員も感じているところだと思うんですが、そういう戸惑いがある意味では安定を乱されたっていうところにもつながるわけです。いい意味での戸惑いだと思うんですが。

ところが、こちらも(誘い方の)上手下手がありますから、誘い足りないぐらいならまだいいんですけど、時には「もう少し誘ってもいいんじゃないか」と欲張ってこちらの誘い方が度を超すと、誘われたほうもちょっと不安定になり「どうしようかな?」というような状態になりますので、そういうことでご迷惑をおかけしたことも多々あったと思います。

沼倉

最初のほうで先生がおっしゃった交流を続けていかないと、特に自閉症の方なんかは自己防衛の生活形態とか、周りの人も安定を乱すのを避ける接触形態とか、そういうのが固まっていっちゃうと、だんだん自分を発揮できなくなっていく状況になりやすいっていうことにもつながってくるんですよね。

阿部

そうですね。もっと幼い子どもだったら自閉のままにとどまるか関わりの世界に行くかという単純な葛藤ですけど、もう40歳、50歳になってくると「こう生きていくんだ」っていうような信念のようなものも強固になりますから、そこで改めて誘われても、「ええ?そんな誘いに今更乗っていいのか? 今更乗ったらどうなってしまうんだ?」という戸惑いが大きいと思います。「今あなたはそう誘っているけど、一時の誘いじゃないのか? 本気でこれからもずっとその関わりを続けてくれるのか?」とか、そういう不信感もあるかもしれないし、乗り越えるまでの葛藤は容易なものじゃないと思います。だから数カ月かかったのも無理ない話で、その間、私は月1回誘うだけですけど、日常でも同じように担当の職員がしっかり関わってくれたというのが大きな力だったと思います。

石井

そういう葛藤とか心の動きっていうのは目に見えないので、それに身近に触れている経験があるとか、そういう考え方をちゃんと学んでいるとか、そういうこと(下地)があると割と理解できていくと思うんですけども、なかなかそれがちょっと離れたところにいる人に伝えていくっていうのがすごく難しいと思っていて。

何かその辺で伝えていく術みたいなものがないものかというのを考えるんですけども、先生のお考えはいかがでしょうか。分かってもらうっていうところで。

阿部

こちら(袖ケ浦)に在職して2年目の方を対象に1年間研修をやらせていただいていて、最後の第5回目の研修がこの間終わったばかりなんですが、その中の3人の方が毎週お伺いしている個別の時間に来ていた方でした。

最終回にはその3人の方に、私との個別の時間にお付き合いしてどうでしたかというようなことを含めて話していただいたんですが、やっぱり個別セッションの場ですと、例えば自閉症の人でもちゃんと我々と変わらない人間性があるんだということが実感しやすいわけですよね。

これは石井哲夫先生もおっしゃっている話ですけれども、こちらからあることを語り掛けるとそれに対して目に見える反応を返してくるのをつぶさに見ることができますから。

また、こういう関わりをするとこんなふうに変わっていくんだという思いがけない体験をする。やっぱりこういう個別の場というのは支援者の認識が変わっていくのに大きな役割を果たすのかなって思います。