対談「受容的交流が表すもの」を受けて-05-
石井
確かに誰でもできるものではないっていう、先生がおっしゃるように名人芸が一方であって、そこに近づいていくことが、よりよい実践というものが持っている可能性もあるってことは私も本当にそう思っていますし、嬉泉が今やっていることだと思っているんですけど。
ただその、名人芸と奉ってもらわなくていいんですが、ある種の優位性みたいなものを認めてもらいたいっていう気持ちもあるし、そうじゃないと、やはり実際に現場の職員のモチベーションというか、「自分たちがやっていることって、本当にいいんだろうか」とか、そういうことが担保されない危険性があるなってちょっと思ってるんですよね。
そのあたりでもう少しなんとかならないか、汎化しなくてもいいけど、ある人にはそういうやり方が非常に有効な部分があると、それは誰もがやるわけではないけど、ある種の価値があるんだ、っていうところにはなりたい、という気持ちがあります。
渡辺
僕は土台って考えています。車の両輪に例えると、技術、テクニックというか、例えばタイムアウトとかクールダウンとか構造化といったものはあるけど、その一方で態度とか心構えも大事です。
当事者に全然興味がなくて、その与えられた時間だけ決まったことやります、みたいな冷めた気持ちでかかわるのと、何とかしなきゃ、なんとかなるはずだ、みたいな真剣な気持ちでかかわるのとでは、同じ技術を使っても、やはり結果は違ってくると思うんです。
でも、心構えの研修をします、なんていうと安っぽくなっちゃうからなかなか発信しにくいですよね。私は大学生の支援の集まりで、石井哲夫先生の著書にある「Nちゃん」の事例を話させてもらうことがあって、その際には受容的交流を精神療法という文脈で紹介しました。
自閉症の方に精神分析的あるいは精神療法的ににかかわるのは、本当に複雑な、深いところまで取り扱うことになると思うんですけど、多くの臨床家はそこまでは踏み込まないで、軽いガイダンスと少ない薬物療法を採用すると思います。
本人を混乱させにくい、本人との関係が崩れにくいから安全だという主張がありまして。精神療法は少数派とも言えるのですが、一方で京都大学のグループなどは精神療法の可能性を研究し、成果を出版したりしています。
私は(受容的交流を)精神科の言葉にちょっと組み替えて、精神療法的アプローチと説明しています。不安や抑うつのように表面に現れている症状ではなくて、成長可能性とか、心を取り扱う、ということを説明する苦肉の策なんです。
精神療法を本格的に研究されている方々にとっては、私の主張も表面的で甘いんだと批判があると想像しますが、一方で(前出の)合理的配慮についてどうする、と言っている人たちからすると「心を取り扱う」のはちょっと違和感があるというか、大事なんだけど、あまり触れてこない領域なのかと。
石井
なるほど、精神療法的アプローチ…確かに精神分析的な評価、それは批判的な文脈だったかもしれないですが、はあったと思います。実際、(石井哲夫に)フロイトからの影響も多分にあると思いますので。
でも、そういう意見も福祉の現場ではなかなか難しいと言いますか…、渡辺先生のような方に語っていただくと、非常に説得力があるんですけど、我々が言っても「何言ってるんだ?」という感じにはなりかねないかなと。
でも、確かに今おっしゃっていただいたことは一つの手がかりになりそうだと思いました。職員に向けてはそういう説明の仕方も有効かなと思ったので、それを先生から職員にレクチャーしていただく機会をいただけると大変ありがたく思いますので、それはまた改めてお願いさせていただきたいと思います。
渡辺
はい。 私は今、集団での認知行動療法(CBT)の臨床研究を企画して行っているのですが、外側に現れる表面的なことや、行動を変えて、とか、気持ちを変えて、というやり方は、それはそれで効果があって。
ダイレクトに心に働きかけても変わらないから、あえて外側から働きかけるという印象なんです。だから先ほど石井理事長もおっしゃったように、効果を否定するものではなくて、共存するということだと思うんですけど。
ただ、やはり認知行動療法をやっていて本当に思うのは、例えば不安になりやすい気持ちが、考え方を少し修正したり、広げたりすることで不安になりにくくなりました、というのはもちろんなんですが、例えば人前で発表ができるようになった、これからいろいろなことができるかもしれなくて嬉しい、という感じに感想を言ってくださる方もいらっしゃって。そういうふうに機能してほしいと思うのです。
例えばパニック発作という症状が抑制されてよかった、だけではなくて、本人のベースとなる気持ちとか考え方がぐっと変わって、その人の人生というとおこがましいですが、もう少し踏み込んだところまで浸透していくと、本当に良いなと思います。表面的な症状のコントロールだけでも、本当にそれが大変な人もいるので、それに意味がないと言っているわけではないのですが。
石井
本当にそうですね。私もさっき申し上げたように、そういうアプローチを否定するわけではなくて、むしろ有効な部分もあるし、それを使いこなせれば非常に強力な武器になるだろうと思います。
要するにその使いこなす側の支援者とか事業者の方が、本質的には何を大事にするのか?というところで。その当事者の気持ちの部分にかかわっていくとか、その人が楽になって幸せを感じられるとか、自発的になれるとかっていうところが大事で、そこに到達するためにはいろいろなアプローチの方法があるっていうことだと思うんですけど。