嬉泉

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受容的交流という考え⽅

鼎談「課題を媒介とした交流」~心のケアとしての受容的交流療法~

嬉泉新聞第89号にて巻頭言「課題を媒介とした交流」をご寄稿いただきました、日本抱っこ法協会名誉会長 阿部秀雄先生と、社会福祉法人嬉泉理事長 石井啓、同療育援助統括理事 沼倉実との鼎談の模様をお届けいたします。

社会福祉法人嬉泉
療育援助統括担当理事 沼倉実
  • (1)受容的交流の出発点

    嬉泉の療育は、受容的交流の考え方に基づいて行われている。受容的交流の考えとはどういうものなのか、一体なにをするのか、よくわからないと云われこともある。また、嬉泉の支援員でも説明ができるかというと、そんなことはなく、説明をしたとしても、漠然としてわかりにくかったり、人によってまちまちのことを説明したりで何とも実態がつかみにくいものであるかもしれない。しかしながら、ほとんどの嬉泉の支援員は受容的交流の考えに基づいて支援をしていると考えているであろうし、拠りどころにしているものであるといえる。 外側からは受容的交流の考えについて、まちまちな評価がされている。ある人は個人の名人芸だと評し、またある人はエビデンスのない考え方であると評す。まったく理解できないという人もいれば、考え方を見聞きして目からうろこが落ちたという人もいる。 このように、いろいろな人がいろいろにとらえ、何ともつかみどころがないところがあるのが、特徴の一つといえるのは確かなようである。また、この考え方を基にした事業を社会福祉法人嬉泉が 50 年に亘って数多くの職員の手に受け渡し、数え上げれば 30 以上の事業を運営してきていることも事実として確かなことである。 まずは、このとらえどころがないようにも思える受容的交流の考えというものを少し分析してみる。 受容的交流を考える糸口として、その考えの創設者である石井哲夫(故人、前常務理事)の言葉を以下に引用する。 「受容とは、全てを受け入れることから出発していますが、相手の態度や行動を全て容認することではありません。利用者の表面的な態度や行動の形だけに目を奪われると、困ったものとして排除しようとしたり、望ましくないと考えて否定してしまうことになりがちです。 表面的な形にとらわれず、その奥にあるその利用者の精神的な働き、境地を推し量り、わかろうとすることが大切です。これが受容の第一歩です。その際、私たち自身の中に、普段は意識していなくても、感覚が鋭敏になっている場合や、精神的にノーマルでないような状態のとき(例えば、過度に緊張したり、不安になったとき)の自分の振る舞いなどを思い起こしてみることによって、混乱している利用者や保護者との共感が可能になるし、相手のココロのすじみちが追えてくるということがあります。そして、こちらが働きかけた時の相手の反応として、戸惑ったり、葛藤している相手の人間性を強く感じ、自分と同じ人間としての相手への親しみや可愛らしさを感じる、という感情が湧いてくるものです。 このように、全ての利用者や保護者とのかかわりあいを深めて、その発達や生活の援助をすることによって、その利用者や保護者は、周囲の人に自分の本心からかかわりをつくり、自我の働きを育てていくことになります。この過程が受容的交流なのです。 一般向けの平易な文章なので、どこまで説明し切れているのかは定かではないが、論文などとは違った形で石井哲夫の文章の中では、最も簡潔にまとめているものである。要旨を取り出すと、 全てを受け入れることから出発 相手の態度や行動を全て容認することではない 表面的な形にとらわれずわかろうとする 利用者や保護者との共感 相手への親しみや可愛らしさを感じる かかわりあいを深めて援助する 自分の本心からかかわりをつくり 自我の働きを育てていく 最後に、「この過程が~」とあるが、これらを包括したところで本人も支援者も変化・成長していくことを受容的交流であると結んでいる。説明するにしても、批判するにしても、どこかの一部をとらえて、よいだとか、悪いだとか、こうする、ああするということになると、説明が足りなかったり、解りにくかったり、とらえどころがない等ということになってしまうのだろう。 しかしながら、この抜き出した文章を見るとますます観念的で、エビデンスはどこにあるのだと懐疑的になることも理解できるような気がする。しかし、最後の「この過程が受容的交流」の部分を、石井のもう一方で力を注いで取り組んでいた〝保育″の視点から「この過程が子どもを育てること」に置き換えてみると、人が営々と続けてきた「母親の赤ちゃんを育てる姿」が見えてくると思う。本能と感覚のままに泣き、笑う赤ちゃんを人として育てていく母親の姿である。また、子育てを通して親になっていく姿でもある。 受容的交流の源流は、母親の子育ての心であり、子育ての核心は母親の愛であるといっている。石井のそれ以前の研究として、積極的養護理論(1963)がある。いわゆる施設支援のホスピタリズムに挑戦した考え方であるが、そのような意欲をもって自閉症の子どもに対しても、育て方や愛情のかけ方を専門性として自分達にも確立できるという思いが、研究を進める原動力としてあったのではないかと思われる。母親の代わりとなり、またそれ以上の養育・療育を自閉症の子どもにしていきたいという、人間愛に根差した関わりが原点に存在する。 石井は、自閉症の子どもに出会ったときに、これまで経験をしたことがない不思議さに興味を持ち、取りつかれた。取りつく島がないように見える子どもに、何とかかかわりを持つために試行錯誤したという。今までのやり方が全く通用せず、反対に状態を悪くしていく経験は、新人支援員の時に多くのものが経験するところであるが、石井にしても自閉症に初めて出会った時には同様のことを経験したのであろう。試行錯誤の末に、まずは、いろいろなことは取っ払って、彼らととことん付き合ってみようというところから始まっている。 母親が泣く赤子の口をふさがず、あやし、話しかけながら、これまでの経験とあわせて子に関わっていくように、水遊びに集中している、紐を振る、人を寄せ付けない等のその行為自体が非常に解り難いことが多くある自閉症の子どもに共感的に関わることは意義のあることであり、その共感からはじまる姿勢が出発点であるといっている。いわれてみれば至極当然のことであると感じられるのだが、日常的な観念に縛られた観点でしか物事を見られなくなっていると、人は当然のごとく〝赤子の口をふさぐ″ことと同様のことを自閉症児の行為に対してしてしまう。しかしながら、石井は行為を受け入れとことん付き合う中で、自閉症の理解には、表面的な形にとらわれずに理解することが大切であるということに実践的にたどり着いたのである。 いささか観念的な出発点の内容であるが、別の云い方をすると、人にはそれぞれの感覚や考え方があり、それが自分や一般社会とずれている場合もあるということを認めることが大切であるということである。そんなことは簡単で今更云うまでもないと思うのであるが、こと自閉症の人に関わると非常に難しいことになるのは周知の通りである。不安を表現する泣きじゃくりは理解できても、不安な時にする精神安定のための水遊びへの没頭は理解しがたいように、人は自分の中にない感覚は理解でき難いからである。 自閉症の内的世界は、今でこそたくさんの当事者発言があり、驚くべき彼らの生きにくさが知られるところとなった。そんな今日でさえ、いまだに誤解や偏見は満ちており、社会的な障壁は随所に高く存在する。それは、彼らの感覚が非常に個別的であることと、様々な形をとって表出されることでわかりにくくなっていることに起因する。 療育の始まりは、彼らの内的世界の理解から始まる。「受容」は、知らないことがたくさんあって、それらを知ること、解明すること、共感するという姿勢が支援者の側にあるのかということであり、支援者が不完全な自己を受容することでもある。

  • (2)療育への展開

    自我の働きを育てると石井は結んでいる。自我の働きを育てるというと、これまた観念的でとらえどころがないように思われる方も多いであろう。どうやったら実態の見えない自我が育つのか。また、育ったといえるのであろうか。 昨今、意思決定支援という言葉が、福祉支援の中でよく耳にするようになってきている。本人中心の考え方が必要であると、当たり前のようにいわれてきている。そのことは裏返してみると、これまでは本人中心や本人の意思決定は阻害されていたということなのだろうと考えられるし、実際にも目にするところである。 周知のとおり、石井が自閉症に支援を始めたころには自閉症の支援は大部分が知的障害者の支援の範疇に取り込まれていた。とにかく異常を正常に正す、社会化する、訓練して社会生活が出来るスキルを身に着けることなどが中心で、本人の意思よりも、社会の一員になるように本人が変容することが優先されていた社会状況であった。 ややもすれば、下手に自我なんか持っていると甘えてサボるとかいわれかねないところもあったように記憶している。日本が、そういう障害者観が一般的であった時代だったともいえる。そんな中で石井は、自発性ということをあらゆる機会に発言していた。自分がよいと思って進んで行動する、行動できなくても意思表示する、選択する、自分から気持ちを動かす。それこそが人の生き方であり、その人の存在意義であると。今日では、意思を尊重することに社会は概ね合意して、そんなに無茶な考え方を持つ人もそう多くはなくなっているように見えることもあるが、本人たちに云わせるとまだまだ、学校等の不適応、いじめ、養育困難、強度行動障害等々、意思が尊重されているような状況ばかりではないことはいうまでもない。 自閉症は、ことはそれほど解り難く、受け入れ難く、共生し難いのである。したがって、支援するといってもかなりの理解と努力と忍耐とが必要になる。意思決定支援も命がけの覚悟が必要といったら大げさかと思うが、それだけ難しく、人の生き方を左右してしまうものであるということだと石井は考えていたし、体を張って主張していた。 石井は、「かかわりあいを深めて援助する」とさらりといっているが、その過程には並々ならぬ技量が必要になるのだと考える。かかわりあいを深める、すなわち受容的交流を進める過程を石井は、「自他不分離の心境から、相手と自分とともに自己認知・自己統制が進むように関わる」(2012)といった。支援者側の動きとしては、①見取る、②見立てる、③関わる、④振り返る、のサイクル行程であると表した。本人と支援者が共に育ち、世界が広がっていくことを療育の本質であると表現することもあった。 受容的交流を進める過程 自他不分離の心境から、相手と自分とともに自己認知・自己統制が進むように関わる(石井 2012) 当初、本人の特性に合わせた配慮は甘やかしのようにいわれたこともあった。とにかく本人の成長第一、我慢とか、慣れろとか、頑張れ、一緒に、やればできる、やらせなくては一生出来なくなってしまう、・・・今でも脈々と一部では続いている差別的対応は、周囲の者への支援のポイントと未だになっている状況である。このことは、石井の奮闘むなしく、受容的交流の考え方が普及しきれなかったことの証明になってしまうのであろうか。 石井は、自閉症の人がたどりやすい人生の困難な道筋(2008)として以下の図を表した。自閉症の方は、これまでの生活歴において、本人と周囲との関係のゆがみから生じてくる不利な状態(生きにくさ)が長年にわたり続いていることが多い。それは、多数派の人たちの常識や価値観との違いであったり、無理解や誤解からの不適切な対応であったり、ひどい場合には絶え間ない注意や叱責を受けることもある。頼れる存在のなさや孤立感、強い不安状態に日常的にさらされることになり、本人にとってはさらなる困難な状況へと追いつめられることになる。 幼少のころから対人被害感や他者への攻撃的な言動や、空想世界への没頭、強いこだわりなど、様々な困難な精神症状を引き起こしていることも数多く遭遇する。自閉症の人はライフサイクルの中で多くの課題や社会的障壁に向き合うことになるが、生きにくさを抱え続けないようにするためには、個人差はあるにせよその時々の適切な支援が一生涯に渡って必要であると考える。 不適切な対応があれば容易に不安定な状態に陥る負のスパイラルが彼らの足元には常に渦巻いているのであると石井はその当時の社会情勢の中で分析して対応した。 自閉症の人がたどりやすい人生の困難な道筋(石井 2008) 脳機能によって生じる人間関係の困難性 母子の愛着(相互)関係の遅れ 環境からの過剰な圧力とその防衛 非社会的な生活形成 困難な社会生活

  • 【コラム】PDCAサイクルと受容的交流の行程

    現行の強度行動障害支援者養成研修でも、自閉症の特性理解の困難さを強調し、仮説検証を必須としています。具体的には、氷山モデルでの行動の背景の仮説立案とPDCAサイクルによる仮説検証を推奨しています。大まかに言うと、事前の情報収集とアセスメントをもとに氷山モデルで利用者の具体的な行動の背景を推察し、その推察から適切な支援(環境調整)を立案する。行った支援の効果を測り、課題を分析し、再度仮説を検証し・・・とPDCAサイクルで仮説検証しながら適切な支援を探すといった流れになります。 対して、受容的交流の4つの行程は、支援現場での日々の支援、支援者の対応の工夫での仮説検証に対応するもので、それはOOⅮA(ウーダ)ループという意思決定の手法に近いと考えられます。ウーダとは、Observe(オブザーブ:観察)、Orient(オリエント:方向付け)、Decide(ディサイド:決定)、Act(アクト:行動)という手順で意思決定して、それを短いスパンで繰り返し、ループ状に行動の適切性を検証しながら進んでいく手法です。 日常的な目の前の利用者にどう関わっていくのか、つまり、PDCAサイクルのDoの中での支援の仕方のプロセスになります。手順書があって、構造化のツールはあるのだけれど、手順書にないような行動が頻発するのが日常の生活の中での支援です。 その中で、支援者が自分の心の動き、関わりの仕方を意識し、支援者の関わりや存在・刺激に対する相手の反応を観察して、また、関わり方の方向性を決めて、関わっていく。自分の意思決定と行動を意識化することで、自分が相手の反応に流されている状態も自覚し、暴れている行動を抑えようと焦って相手の行動の背景や気持ちをあまり考えていないことも意識する。 それがダメなのではなく、意識化することを習慣化することで、観察から方向付けの見立ての段階での推察が明確に認識できるようになり、アセスメントで立てた仮説の根拠になる特性を想起することもできやすくなります。そうすることである程度一貫した仮説検証ができ、方向性の明確なループになっていきます。それをあるスパンで振り返って、PDCAのチェックやプランニングに役立てていくこともできます。 事前の情報収集やアセスメントをもちろん行うし、先輩支援員の支援を見てヒントももらう。しかしながら、支援者が利用者に対する時には常に孤独で、自身の見取りと見立てで関わっていかざるを得ない。その交流のさなかで、お互いの気持ちや考えを感受し、共有し、了解し合うためには、支援者は相手の内的な心理を感受し、理解すると同時に自身の内的心理を意識化することが求められます。 その了解性が相手との間で客観性や再現性を持つことで確かな支援関係ができ、さらなる交流(相互作用)によって、お互いに理解を深め、新たな関係や価値を共有していくことができるのです。 受容的交流を進める過程 自他不分離の心境から、相手と自分とともに自己認知・自己統制が進むように関わる(石井 2012)

  • (3)支援のポイント

    そして石井は、前章のようなことの多い社会状況を鑑みて、支援者はどのような立ち位置で当事者や家族にかかわるべきなのかをしっかりと念頭に置く必要があるとした。 支援のポイント① 本人や親にとって安心できる存在になる →安定した態度を保つ、根気よくかかわる 本人や家族がかかわることができる人や場を作る できるだけ早い段階から孤立をさせない 人への警戒や防衛を解き、自律をサポートする 苦手な刺激の制限と調整 療育支援のポイントとして大きく 3 ポイントを説明し、支援者のスタンスを説いた。ポイント①では、当事者に「安心、安全、安定」を作り上げることを第一として、療育の基盤づくりをすることで支援者との信頼関係を構築する過程に関してふれた。この段階では、支援者は当事者とその家族との距離感を慎重に測りながら、安心できる存在になることを大切にすることが重要なポイントになる。 支援のポイント② 自己認知や環境認知をすすめる →できているところを認める、分かる体験を積む 自己肯定できる体験、人に認められる体験を積む 物事や状況のとらえかを知る。確認をしながら「共有する」こと、または、「違いを知る」こと 納得をとりつけ、現実の状況や場面へつなぐ 代弁、予告、丁寧な解説、言い聞かせなだめるなど

  • (4)これからの支援

    受容的交流の考え方は、本人の内的世界へ注目して、安心できる主体的生活への支援を行うことを目指している。いわゆる療育活動としては、本人の心理的特徴をとらえ、心の奥にある衝動や感覚、情緒、快感、不安、抵抗、トラウマ、こだわり、自己認知等々見取りながら、本人にわかるように伝え、共有すること。また、信頼関係を構築しながら共通の心理的世界を作り、社会につなぐ努力をすること。そのための環境調整としては、安心できる状況と周囲の適切な理解の獲得に努めることをすすめていくことにある。繰り返しになるが、それがライフサイクルのすべてにわたって必要なことが多く、一貫したとらえ方、関わりで育て、見守り、調整する支援が重要なのである。 支援のポイント④ 社会資源とつなぐ      活動の幅を広げる、地域・社会に出る、外の人と交流 社会の通訳やガイドとしての役割 資源の開発、理解を求める、 支援のポイント⑤ 支援ネットワークの形成    支援機関等へのコンサルテーション 本人支援のコーディネーション 緊急時の対応(避難所)としての機能 本人の対処能力の向上 今日、合理的配慮とか意思決定支援ということが障害者の差別解消のスタンダードに置かれようという動きがある。社会的障壁の除去という言葉もよく耳にするようになってきている。インクルーシブな社会の形成に題目上は国を挙げて目指している現在、療育の考え方も個人対個人や施設の中で等狭い部分で考えていては、本人の生活や活動が制限されてしまうことになりかねない。発達障害者支援法も改正され、より社会の側の変革を目指す方向性も示されている。これまでより更なるグローバルな視点で療育を考えることが望まれている。 これまで社会に対する提言が嬉泉の活動の中になかったわけではない。発達障害者支援センターでの活動や啓発活動など多くの事業を行っているといえる。しかしながら、いわゆる療育の現場で当事者と社会のつながりの中で、利用者が主体的に意思を決定し、その実現のために実践的なアプローチが十分にできていたかというと、まだまだの感はある。 いわゆる名人芸と揶揄される閉じられた世界に満足して広がりを求められてはいないのではないかということや、社会の無理解などのせいにして、そこから踏み出すことに手がついていないことはないかと反省をする。関係者等との間でやり取りができる技量を持ち、協力して支援を行う関係者に、説明、提案、実行、検証を本人のニーズにそって地域社会や地域資源含めた広い視点でのぞみ、利用者が「生活の主体者」として地域での暮らしを作ることが出来ていたのか再度見直す必要がある。 個別や施設内の療育で終結してしまう支援では、社会の中で生活をするとか、活動をするなどの利用者の意向に沿ったことにはなりにくいことは、これまでの長年にわたり療育を受けてきた利用者の声や様子からうかがい知ることである。家族、地域の住人、支援機関・支援者の支援力には、施設支援ではなかなか成しえないものが多くある。もちろんのこと、施設には家族や地域にない機能が多くあるので、施設を支援の核として、うまく周囲の資源を活用するように波紋を広げて利用者の世界も広がるように支援のコーディネートが成されるように活躍していけたらと考えている。 このことは、通所の支援ではもちろんのことであるが、より社会が狭くなりがちである入所の支援においてはこころして意識しておかなくてはならないことである。 インクルーシブな教育や社会を目指していくことが、障害を理由とした差別の解消の推進を合意した社会の基本的な方針になった今日、利用者のニーズも多様化し、社会資源も様々なものが増えてきている。広く社会資源、人、モノ、情報、制度、ネットワーク等々を構築・活用した、ますます広い観点での支援が展開されなければならない。 療育では、強度行動障害や支援困難な方の支援に関しては、入所施設や通所施設、児童発達支援センターが中心となって支援の組み立てを行い、環境調整や直接支援の工夫で生活基盤の安定を基本にした体制が必要であろう。他方、社会生活が可能な方の支援では、施設はネットワーク内の資源の一部として機能し、地域の資源をいかに活用して利用者の望む生活に近づけていくかということを核に展開していけるかを考えていく。 これらと同様に、本人の療育支援も様々な人や資源の活用や、困ったときの対処法、相談できる体制とそこにつながる意識づけなど、本人が生活の主体者として地域での生活をすすめていけるための力をつけることを目指していかなければならないと考える。 相談・地域支援では、療育の実践を踏まえた知見から、個別の事情から、地域社会の在り方、支援体制作り、教育との連携などミクロからマクロまで広く深い視点で、より社会に開けた形の支援を志向して利用者の自己実現に寄与していくことができるようにますます研鑽を積んでいかなくてはならない。 さらに、保育においても受容的交流の考え方は同様にある。保育所内のことのみに関わらず、家庭との連携はもちろんのこと、地域作り、地域支援、学校連携や場合によっては療育機関との連携、児童相談所、子ども家庭支援センターとの連携など、児童を取り巻く様々なところとの協力関係を持ち児童の最善の利益を図る機能を、保護者と並んで児童の最大の理解者としての立場で追及していきたいと考える。 石井は、幼少期より関わる子どもの成長にしたがって、ライフサイクルに応じた支援の必要性を、身をもって感じた。そして社会福祉法人嬉泉では比較的早期から着手し、ライフサイクルすべてに渡った支援が行えるように療育事業を展開してきている。乳幼児期の対応としての、保育所、児童発達支援センター、就学期の相談・療育、成人期の生活介護や就労支援、また児童期、成人期の入所支援やグループホーム、さらに手がけ始めている高齢期の支援と続いている。 それらの支援の基には「受容的交流」の人間観、支援観が一貫としてあり、嬉泉のアイデンティティとして継承し続けてきた。そしてこれからも、この考え方、思いを継承し社会福祉法人嬉泉の活動を発展させ、共生社会の実現に寄与していきたい。

「受容的交流とは何か」を考える

嬉泉の新聞 第84号 掲載
社会福祉法人嬉泉
理事長 石井啓

「受容的交流が表すもの」

嬉泉の新聞 第86号 掲載
東京大学
渡辺慶一郎教授(医学博士)

対談「受容的交流が表すもの」を受けて

嬉泉の新聞 第87・88号 掲載
東京大学 渡辺慶一郎教授と、社会福祉法人嬉泉理事長石井啓との対談です。

課題を媒介とした交流

嬉泉の新聞 第89号 掲載
日本抱っこ法協会名誉会長
阿部秀雄

鼎談「課題を媒介とした交流」~心のケアとしての受容的交流療法~

嬉泉の新聞 第90・91号 掲載
阿部秀雄 (日本抱っこ法協会名誉会長・袖ケ浦非常勤講師)
石井啓 (社会福祉法人嬉泉 理事長)
沼倉実 (社会福祉法人嬉泉 療育援助統括理事)